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妖怪とは、この国に古くから伝わる、なんとも説明のつけられない怪奇な現象や不可思議な力を持つ「なにか」。
今回紹介するのは、平安時代に出現したといわれる鵺(ぬえ)です。 「ぬえ」、呟いてみると、その名も一層怪しく響く伝説の妖怪。
時の天皇たちはあまりに不気味なその鳴き声に怯え、ついには臥せってしまったと伝わります。そして、退治され人々が目にしたその姿かたちは、言葉ではいい尽くせない恐ろしいものであったとも。
その捉え方やイメージを少しずつ変えながら、時代を超えて今なお語り継がれる妖怪、鵺。 知りたいような、知りたくないような…。 さあ、その正体やいかに!
古くは『古事記』や『万葉集』にもその名が記されてきた鵺。
なにやら怪しげな妖怪として広く知られるようになったのは、平安時代の末のことでしょうか。 有名な『平家物語』には、時の天皇たちを恐怖させた妖怪鵺の伝説が描かれています。
書物によって、鵺のほか、鵼や奴延鳥、恠鳥といった別の表記も見られますが、これはそのときどきで、性質や特徴も少しずつ異なって捉えられていたからなのかもしれません。
さあ、鵺とはいったいどんな妖怪なのでしょう。
『平家物語』には、その姿かたちについてこう記されています。
「頭は猿、骸は狸、尾は蛇、手足は虎の姿にて、鳴く声鵺にぞ似たりける」
また、同じころに書かれた『源平盛衰記』には、頭は猿、背が虎、狸の手足をもち、尻尾は狐、音は鵺であったと記されています。
どちらにせよ、ひどく奇怪な姿。 目にしたものは言葉を失ったほどだと伝わります。
誰もがよく知る動物5つを合体した姿ですが、あまりに強烈でなんだかうまく想像できませんよね。
そして、平安の世の人々をすくみあがらせたというのが、その鳴き声。 姿かたちも想像がつきませんが、さて、どんな鳴き声だったというのでしょう。
そのなんとも気味が悪いという妖怪鵺の鳴き声。
当時「ぬえ」という名で知られていた鳥の鳴く声に似ていたことから、その鳥の名がそのまま妖怪の名前になったようです。
その声の主、「ぬえ」とは、現代でいうトラツグミだったといわれています。
トラツグミは、体長30cmほどと鳩より少し小さく、シベリアから日本を含むアジアに広く生息する鳥の一種です。
くりっとしたかわいい目で、ユーモラスなダンスをしながら地面の餌を探します。
そしてその名の通り、黄褐色と黒、白が混じり合った虎斑模様は、一見するとかなり派手。 でも一度森の中、地上に降りると、絶妙なカモフラージュとなり、なかなか姿を見つけることができません。
妖怪とは似つかないその姿ですが、たしかに鳴き声は、なんとも言いようのないもの。
「ヒー ヒー」とも「ヒューイ ヒューイ」とも聞こえる、細く高い音。 4月から7月にかけての繁殖期、夜半から明け方にかけて聞かれるこの鳴き声は、聞けば聞くほど不気味に響きます。
誰かが口笛で呼んでいるような、誰も乗っていないブランコがゆっくりと軋んでいるような、その鳴き声。 聞きようによって、どのようにも聞こえるのが、また不思議で不気味なところ。
「鵺の鳴き声を聞くと悪いことが起こる」 まるでホラーの一説のようですが、鵺の声は平安の時代、人々にそんなふうに恐れられていました。
天皇や貴族たちは、この鳴き声が聞こえると不吉なことの兆しであるとし、大きな禍いが起きないよう、儀式や祈祷を行うこともあったといいます。
夜が明るくなってしまった、そしてスマートフォンがその鳴き声の主を教えてくれるようになった現代では、なにをそんなに恐れることがあるのか、という話かもしれません。
ただ、鵺が出現したのは、京の都が狐狸妖怪の棲み処だったともいわれる平安のころ。
想像してみてください。 月あかりだけの深い闇夜に、どこからともなく響くもの悲しげな鵺の鳴き声。
人々が感じた不吉な空気、気味の悪さから生まれたのが、妖怪鵺なのです。
鵺は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』から、現代に生み出された創作民話まで、さまざまな物語に現れます。
鵺が妖怪として広く知られるようになったのは、この『平家物語』ではないでしょうか。 平家一門の栄枯盛衰を描いた、鎌倉時代の代表的な文学作品です。
近衛天皇の時代、丑の刻になると、夜な夜な東三条の森の方から黒雲が湧きおこり、御所の屋根を覆うことがありました。
まだ若い天皇はひどく怯え、ついには臥せってしまいます。 これには、高僧による祈祷も薬も効かず。 そこで源頼政(みなもとのよりまさ)が、この化け物の退治を命じられます。
頼政が武将猪早太(いのはやた)を従え参内すると、いつもの丑の刻、やはり東三条の森からひと叢の黒雲が湧いて、御所の屋根の上に垂れ込めました。
じいっと目を凝らすと、黒雲の中に怪しげな影。 頼政は「南無八幡大菩薩」と唱えて狙いを定め、ぎりぎりと弓を引き絞って、ひいふっと放ちました。
矢は見事、黒雲の中の化け物に命中。
頼政はその手ごたえに「得たりやおうー!」と雄叫びを上げ、猪早太がすかさず落ちた化け物に駆け寄り、取り押さえてとどめを刺しました。
人々が手に手に灯りを持ち、そのものの姿を照らしてみると、 それは頭が猿、胴は狸で尻尾は蛇、手足は虎、そして鳴く声は鵺に似た、なんともおぞましい化け物。 皆そのあまりの恐ろしさに身震いし、言葉にならなかったといいます。
近衛天皇は大いに喜び、頼政に「獅子王」という立派な太刀を下賜されました。
退治された鵺はというと、うつぼ舟(丸木をくりぬいて作られた舟)に納められて、そのまま鴨川でしょうか、川に流されたのだといいます。
そして、時は二条天皇のご在位。 鵺という化け物がたびたび宮中で鳴き、そのことが二条天皇をひどく悩ませていました。
先の鵺退治のこともあり、ふたたび召し出された頼政。
退治に参内したものの、このとき鵺はひと声鳴いたのみ、ふた声は鳴かず、さらには探しようもないほどの闇夜です。
さあ、どうしたものかと考えた頼政。 はじめに大鏑(より大きな音の鳴る鏑矢)を、鵺の声がした方に放ちました。
その音に驚いた鵺がふいに声を上げたところで、すかさず二の矢小鏑をつがえてひいふっと射切ります。 鵺は鏑矢とともに、どさりと目の前に落ちてきたのです。
ふたたび鵺を仕留めたことにいたく感動された二条天皇は、頼政に御衣を下賜されたといいます。
日本最古の歴史書として知られる『古事記』にも、鵺が登場しています。
国造りの神として名高い大国主命。 この場面では、日本各地に妻を持つ八千矛神(やちほこのかみ)という名で記されています。
越の国(こしのくに=現在の福井県から新潟県にかけて)に、美しく賢いと評判の姫がいると聞きつけた八千矛神。
夜半、求婚するためにこの沼河比売(ヌナカワヒメ)のもとを訪れ、歌を詠みます。
「麗しいあなたの家の戸を何度も何度も押し揺すっているうちに、山では鵺が鳴いてしまった。 野では雉が高らかに鳴いた。鶏も鳴いた。 いまいましく鳴くこの鳥たちよ、どうか鳴き止んで欲しいものだ。」
沼河比売は、家の戸を開けずにこれに応えてこう詠みました。
「八千矛神よ、私の心は渚の鳥のようです。今は私の鳥ですが、やがてあなたの鳥になりましょう。どうか殺さないでください。」
はるばる会いにきた姫にすぐに会えないもどかしさを、次々に鳴き始める鳥たちで表したものです。
このときの鵺は、恐ろしい妖怪ではなく、夜から明け方にかけて鳴く鳥。 一緒に詠まれている雉や鶏のような、とても身近な鳥として描かれています。
浜松市の西部に位置する浜名湖、その南端は遠州灘とつながり、淡水と海水が混ざり合っています。 その浜名湖の北西部にある支湖が、猪鼻湖です。
京でとどめを刺され、川に流されたはずの鵺の亡骸。 川を下り、流れ着いたという伝説が数多くありますが、じつは遠く離れたこの猪鼻湖の入江にも、その亡骸が落ちてきたと伝えられている場所があるのです。
鵺が落ちた場所は鵺代(ぬえしろ)、その長い尾が落ちた場所を尾奈(おな)、羽が落ちたところを羽平(ハネヒラ)、胴体が沈んだという場所が胴崎(どうさき)と名付けられ、今に伝えられています。
京の都に夜な夜な現れた鵺。 関西を中心に、さまざまなエピソードが残されています。
京都、元離宮二条城の北西にある二条公園。 その公園内にあるのが鵺池、そしてその傍に建つのが鵺大明神です。
平安時代、この一帯は政の中枢。天皇の住まう内裏もこの近くにありました。 頼政が鵺を退治した際、鵺の血で濡れた鏃(やじり)を、この池で洗い流したという逸話が残ります。 昭和4年、公園を整備すると同時に頼政の功績を讃え、小さな祠が建てられました。
この鏃は、今の繁華街四条烏丸近く、綾小路通に面して建つ小さな神明神社に祀られています。
芦屋は、六甲山地の麓、瀬戸内海を望み、日本屈指の高級住宅街としても知られます。 芦屋川沿いに整備された市民の憩いの場、芦屋公園内の松林の中に、ひっそりと佇むのが鵺塚。
京都でうつぼ舟に納められ、川に流された鵺の亡骸は、芦屋川と住吉川の間にある浜に打ち上げられたといいます。
それまでぞんざいに扱われてきたというその亡骸は、芦屋の人々の手によって、手厚く葬られたと伝わる場所です。
大阪市都島区、ビルと住宅に囲まれた一角に小さな祠があります。
京から流された鵺の亡骸は淀川を流れ下り、当時は湿地帯だったこの辺りに流れ着いたのだとか。
祟りを恐れた村人は、その亡骸を丁重に葬りこの塚を築いたと伝えられています。 現在の塚は、大阪府が明治初めに改修、祠も昭和に入り地元の人々によって建て替えられました。
見かける機会はあまりないかもしれませんが、大阪港の紋章にも鵺がいます。
大阪港は、1980年フランスのル・アーブル港と姉妹港提携を結びました。 これをきっかけに、誕生した大阪港の紋章。
西洋の紋章のルールに則り、中央の盾を両側から支える「サポーター」なるものが選ばれました。サポーターは力強く、敵を威嚇するという役割を担います。
そこで選ばれたのが鵺。 当初、河童や天狗といった妖怪も候補に上がったそうですが、古代の日本船が描かれた盾をしっかりと支え持つ大役に選ばれたのは鵺でした。
「鵺」は、時代とともにこんな使われ方をするようにもなりました。
「鵺のような人」「鵺的存在」 なんだか掴みどころがない、正体不明の人や、曖昧なさまを比喩する言葉です。
暗闇に不気味な鳴き声だけが響き渡る、そのイメージからなのか、また、さまざまな動物が一つになって、どれが本当の姿かわからないからなのか。
どこから生まれたのか、こんな言葉も。 国会議事堂があるこの国の政治の中枢、永田町。そこで行われている政治の不透明さを揶揄して「永田町には鵺が棲む」と。
どちらにしても、あまりよい意味では使われない言葉のようです。
不気味な妖怪として『平家物語』に登場してから、鵺はその時代時代でさまざまに描かれるようになります。
代表的なこの2点。迫力のある鵺退治の場面、はっきりと鵺の姿が描かれていることもあり、思わず目を凝らしてしまいます。
日本橋から始まりこの京都まで、中山道をテーマにした歌川国芳の72枚の揃物です。
「武者絵の国芳」といわれますが、この作品はといえば、画面いっぱいに黒雲に乗ったおぞましい鵺の姿を描いています。 それに対して、頼政と猪早太を画面右下に滑稽なほど小さく配した、その大胆な構図の面白さが際立った作品です。
また、それぞれ宿場の風景が描かれる左上のコマ絵。 御所車の形に切り抜かれた中に描かれているのは、鵺の黒雲が湧き出るという、東三条の森でしょうか。そこから鵺の乗った黒雲が湧き出でているようです。
右上の『木曽街道六十九次之内』のタイトルの縁には、黒雲と松明の火、そして弓矢も描かれています。
【書誌情報】
絵師・落款:歌川国芳(画)・一勇斎國芳画(桐印) 出版年:嘉永05(1852)10 所蔵館名:東京都立中央図書館
江戸末期から明治中期という激動の時代に活躍し、「最後の浮世絵師」ともいわれた天才浮世絵師、月岡芳年。 この作品は、妖怪や伝承をもとにした連作の中のひとつです。
猪早太が馬乗りになって、鵺にとどめを刺すシーン。 目をひん剥いた絶命寸前の鵺の表情と、猪早太の厳しい表情の対比。なんとも緊迫感のある一場面です。
丁寧に描かれた鎧の細部や鵺の毛の一本一本、目の前で繰り広げられているかのような、とても写実的な一枚です。
著者:月岡芳年 出版者:佐々木豊吉 出版年月日:明治23
現代の漫画やアニメにも鵺が取り上げられています。 不気味で謎の多い鵺は、いつの時代もどこか人々を惹きつける力があるようです。
妖怪といえば、ゲゲゲの鬼太郎、という方も多いのではないでしょうか。
鵺は、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第5、6シリーズに登場。 第5シリーズでは、悪名高き妖怪とされてきた鵺が、最後には人間たちを救い、平和を祈る妖怪として描かれています。 一方、第6シリーズでは、強烈な鳴き声を放ち、眠らない都会の人間たちの生気を吸い取る極悪の妖怪という描かれ方。 まったく違う性質と姿かたちで描かれているのもまた謎多き鵺らしく、興味深いところです。
鵺は、水木しげるによる日本各地の妖怪を網羅した解説書『図説 日本妖怪大鑑』にも、もちろん掲載されています。
また和雑貨ブランド「倭物やカヤ」では、漫画家「水木しげる」の作品をモチーフにしたアイテムを、2025年7月11日(金)より、公式オンラインショップおよび全国の「倭物やカヤ」直営店舗にて販売しております。特集ページにてアイテムの詳しい情報を掲載していますので、ぜひご覧ください!
古典的な妖怪の物語に、斬新なアートの世界を融合させた、独自の世界観を持つアニメーション。
モノノ怪を斬る「退魔の剣」を携える主人公薬売りが、対峙するモノノ怪の形(正体)、真(事件の真相)、理(事件の背景)を解き明かします。
日本の伝統文化、雅な香道の世界と鵺を組み合わせた第8、9回。 時の権力者たちがこぞって手に入れたがったという、伝説の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」を巡って物語が展開します。
じつは、鵺を退治した源頼政は、褒美として太刀「獅子王」とともにこの蘭奢待も与えられたという説が残るのです。
「見る場所によって姿の違うモノノ怪が鵺」の解釈もまたさまざまで、実に深みのあるストーリーです。
モノクロとカラーを巧みに組み合わせた画面、伊藤若冲や長沢芦雪などを思わせる襖絵や屏風も印象的。
全3章で構成される、大奥を舞台とした『劇場版モノノ怪』が公開されています。
倭物やカヤでは、妖怪にまつわるさまざまなグッズを取り扱っております。
まさに、着る、NIPPON ART。 「妖怪」「神仏」「生き物」の3つをテーマに、さまざまな浮世絵をコラージュしました。 カヤオリジナル柄の大胆でクールな一枚、ワードローブに加えてみませんか?
「YOKAI」には、鵺も潜んでいるかもしれませんよ!
しっかりと厚みのあるコットン100%のTシャツです。
高画質高精細のデジタルプリントで、大胆で繊細な柄が一層際立ちます。 袖は少し長め、女性もドロップショルダーの5分袖として、着ていただけます。
意外にどんなボトムスにも合うので、この夏出番が多くなりそうな一枚です。
柄を表にするもよし、無地を表にして柄をチラリと見せるもよしの、リバーシブル羽織。
和の仕立てが、浮世絵柄をより際立たせてくれます。 ポリエステル100%なので、お手入れも簡単。
軽い羽織ものとして、カジュアルな着こなしのポイントに。
特集ページでアイテムの詳細が見られますので、ぜひチェックしてみてください!
古の時代、暮らしの中で説明できないもの、いつもと違う現象、何かありそうな雰囲気、そんな目には見えない、言葉にはできないようなものごとに名前をつけた、それが妖怪です。
暮らしの中で生まれた妖怪、つまり妖怪がいる世界は人間が暮らす世界。 妖怪のいる世界は、ここ。
妖しく、怪しい。 その中でも、また格別に「あやしい」、つまり本当に何者なのかわからないのが、鵺を伝説たらしめているようです。
声はトラツグミに似ているのかもしれません。でも、正体は、本当は誰も知らない、それが鵺。
夜、起きている者だけが耳にする、そして恐怖する、何かを告げたがっているような鳴き声。
どこからともなく聞こえてくる、その声。 そう、その声は鵺ではありませんか?
世にも恐ろしい「百鬼夜行」とは?▼
日本三大妖怪って何者?▼
妖怪とは、この国に古くから伝わる、なんとも説明のつけられない怪奇な現象や不可思議な力を持つ「なにか」。
今回紹介するのは、平安時代に出現したといわれる鵺(ぬえ)です。
「ぬえ」、呟いてみると、その名も一層怪しく響く伝説の妖怪。
時の天皇たちはあまりに不気味なその鳴き声に怯え、ついには臥せってしまったと伝わります。そして、退治され人々が目にしたその姿かたちは、言葉ではいい尽くせない恐ろしいものであったとも。
その捉え方やイメージを少しずつ変えながら、時代を超えて今なお語り継がれる妖怪、鵺。
知りたいような、知りたくないような…。
さあ、その正体やいかに!
目次
鵺(ぬえ)とは何か?
古くは『古事記』や『万葉集』にもその名が記されてきた鵺。
なにやら怪しげな妖怪として広く知られるようになったのは、平安時代の末のことでしょうか。
有名な『平家物語』には、時の天皇たちを恐怖させた妖怪鵺の伝説が描かれています。
書物によって、鵺のほか、鵼や奴延鳥、恠鳥といった別の表記も見られますが、これはそのときどきで、性質や特徴も少しずつ異なって捉えられていたからなのかもしれません。
さあ、鵺とはいったいどんな妖怪なのでしょう。
鵺はどんな姿をしている?
『平家物語』には、その姿かたちについてこう記されています。
「頭は猿、骸は狸、尾は蛇、手足は虎の姿にて、鳴く声鵺にぞ似たりける」
また、同じころに書かれた『源平盛衰記』には、頭は猿、背が虎、狸の手足をもち、尻尾は狐、音は鵺であったと記されています。
どちらにせよ、ひどく奇怪な姿。
目にしたものは言葉を失ったほどだと伝わります。
誰もがよく知る動物5つを合体した姿ですが、あまりに強烈でなんだかうまく想像できませんよね。
そして、平安の世の人々をすくみあがらせたというのが、その鳴き声。
姿かたちも想像がつきませんが、さて、どんな鳴き声だったというのでしょう。
鵺はトラツグミ?トラツグミが妖怪?
そのなんとも気味が悪いという妖怪鵺の鳴き声。
当時「ぬえ」という名で知られていた鳥の鳴く声に似ていたことから、その鳥の名がそのまま妖怪の名前になったようです。
その声の主、「ぬえ」とは、現代でいうトラツグミだったといわれています。
トラツグミは、体長30cmほどと鳩より少し小さく、シベリアから日本を含むアジアに広く生息する鳥の一種です。
くりっとしたかわいい目で、ユーモラスなダンスをしながら地面の餌を探します。
そしてその名の通り、黄褐色と黒、白が混じり合った虎斑模様は、一見するとかなり派手。
でも一度森の中、地上に降りると、絶妙なカモフラージュとなり、なかなか姿を見つけることができません。
妖怪とは似つかないその姿ですが、たしかに鳴き声は、なんとも言いようのないもの。
「ヒー ヒー」とも「ヒューイ ヒューイ」とも聞こえる、細く高い音。
4月から7月にかけての繁殖期、夜半から明け方にかけて聞かれるこの鳴き声は、聞けば聞くほど不気味に響きます。
鵺の鳴き声は不吉な兆し?
誰かが口笛で呼んでいるような、誰も乗っていないブランコがゆっくりと軋んでいるような、その鳴き声。
聞きようによって、どのようにも聞こえるのが、また不思議で不気味なところ。
「鵺の鳴き声を聞くと悪いことが起こる」
まるでホラーの一説のようですが、鵺の声は平安の時代、人々にそんなふうに恐れられていました。
天皇や貴族たちは、この鳴き声が聞こえると不吉なことの兆しであるとし、大きな禍いが起きないよう、儀式や祈祷を行うこともあったといいます。
夜が明るくなってしまった、そしてスマートフォンがその鳴き声の主を教えてくれるようになった現代では、なにをそんなに恐れることがあるのか、という話かもしれません。
ただ、鵺が出現したのは、京の都が狐狸妖怪の棲み処だったともいわれる平安のころ。
想像してみてください。
月あかりだけの深い闇夜に、どこからともなく響くもの悲しげな鵺の鳴き声。
人々が感じた不吉な空気、気味の悪さから生まれたのが、妖怪鵺なのです。
鵺にまつわる伝説と物語
鵺は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』から、現代に生み出された創作民話まで、さまざまな物語に現れます。
鵺が妖怪として描かれた『平家物語』
鵺が妖怪として広く知られるようになったのは、この『平家物語』ではないでしょうか。
平家一門の栄枯盛衰を描いた、鎌倉時代の代表的な文学作品です。
■近衛院の御代の鵺退治
近衛天皇の時代、丑の刻になると、夜な夜な東三条の森の方から黒雲が湧きおこり、御所の屋根を覆うことがありました。
まだ若い天皇はひどく怯え、ついには臥せってしまいます。
これには、高僧による祈祷も薬も効かず。
そこで源頼政(みなもとのよりまさ)が、この化け物の退治を命じられます。
頼政が武将猪早太(いのはやた)を従え参内すると、いつもの丑の刻、やはり東三条の森からひと叢の黒雲が湧いて、御所の屋根の上に垂れ込めました。
じいっと目を凝らすと、黒雲の中に怪しげな影。
頼政は「南無八幡大菩薩」と唱えて狙いを定め、ぎりぎりと弓を引き絞って、ひいふっと放ちました。
矢は見事、黒雲の中の化け物に命中。
頼政はその手ごたえに「得たりやおうー!」と雄叫びを上げ、猪早太がすかさず落ちた化け物に駆け寄り、取り押さえてとどめを刺しました。
人々が手に手に灯りを持ち、そのものの姿を照らしてみると、
それは頭が猿、胴は狸で尻尾は蛇、手足は虎、そして鳴く声は鵺に似た、なんともおぞましい化け物。
皆そのあまりの恐ろしさに身震いし、言葉にならなかったといいます。
近衛天皇は大いに喜び、頼政に「獅子王」という立派な太刀を下賜されました。
退治された鵺はというと、うつぼ舟(丸木をくりぬいて作られた舟)に納められて、そのまま鴨川でしょうか、川に流されたのだといいます。
■二条院の御代の鵺退治
そして、時は二条天皇のご在位。
鵺という化け物がたびたび宮中で鳴き、そのことが二条天皇をひどく悩ませていました。
先の鵺退治のこともあり、ふたたび召し出された頼政。
退治に参内したものの、このとき鵺はひと声鳴いたのみ、ふた声は鳴かず、さらには探しようもないほどの闇夜です。
さあ、どうしたものかと考えた頼政。
はじめに大鏑(より大きな音の鳴る鏑矢)を、鵺の声がした方に放ちました。
その音に驚いた鵺がふいに声を上げたところで、すかさず二の矢小鏑をつがえてひいふっと射切ります。
鵺は鏑矢とともに、どさりと目の前に落ちてきたのです。
ふたたび鵺を仕留めたことにいたく感動された二条天皇は、頼政に御衣を下賜されたといいます。
『古事記』では身近な鳥としての鵺
日本最古の歴史書として知られる『古事記』にも、鵺が登場しています。
国造りの神として名高い大国主命。
この場面では、日本各地に妻を持つ八千矛神(やちほこのかみ)という名で記されています。
越の国(こしのくに=現在の福井県から新潟県にかけて)に、美しく賢いと評判の姫がいると聞きつけた八千矛神。
夜半、求婚するためにこの沼河比売(ヌナカワヒメ)のもとを訪れ、歌を詠みます。
「麗しいあなたの家の戸を何度も何度も押し揺すっているうちに、山では鵺が鳴いてしまった。
野では雉が高らかに鳴いた。鶏も鳴いた。
いまいましく鳴くこの鳥たちよ、どうか鳴き止んで欲しいものだ。」
沼河比売は、家の戸を開けずにこれに応えてこう詠みました。
「八千矛神よ、私の心は渚の鳥のようです。今は私の鳥ですが、やがてあなたの鳥になりましょう。どうか殺さないでください。」
はるばる会いにきた姫にすぐに会えないもどかしさを、次々に鳴き始める鳥たちで表したものです。
このときの鵺は、恐ろしい妖怪ではなく、夜から明け方にかけて鳴く鳥。
一緒に詠まれている雉や鶏のような、とても身近な鳥として描かれています。
鵺のもう一つのその後を伝える奥浜名湖の鵺伝説
浜松市の西部に位置する浜名湖、その南端は遠州灘とつながり、淡水と海水が混ざり合っています。
その浜名湖の北西部にある支湖が、猪鼻湖です。
京でとどめを刺され、川に流されたはずの鵺の亡骸。
川を下り、流れ着いたという伝説が数多くありますが、じつは遠く離れたこの猪鼻湖の入江にも、その亡骸が落ちてきたと伝えられている場所があるのです。
鵺が落ちた場所は鵺代(ぬえしろ)、その長い尾が落ちた場所を尾奈(おな)、羽が落ちたところを羽平(ハネヒラ)、胴体が沈んだという場所が胴崎(どうさき)と名付けられ、今に伝えられています。
関西に点在する鵺ゆかりの地
京の都に夜な夜な現れた鵺。
関西を中心に、さまざまなエピソードが残されています。
二条公園の鵺池
京都、元離宮二条城の北西にある二条公園。
その公園内にあるのが鵺池、そしてその傍に建つのが鵺大明神です。
平安時代、この一帯は政の中枢。天皇の住まう内裏もこの近くにありました。
頼政が鵺を退治した際、鵺の血で濡れた鏃(やじり)を、この池で洗い流したという逸話が残ります。
昭和4年、公園を整備すると同時に頼政の功績を讃え、小さな祠が建てられました。
この鏃は、今の繁華街四条烏丸近く、綾小路通に面して建つ小さな神明神社に祀られています。
芦屋の鵺塚
芦屋は、六甲山地の麓、瀬戸内海を望み、日本屈指の高級住宅街としても知られます。
芦屋川沿いに整備された市民の憩いの場、芦屋公園内の松林の中に、ひっそりと佇むのが鵺塚。
京都でうつぼ舟に納められ、川に流された鵺の亡骸は、芦屋川と住吉川の間にある浜に打ち上げられたといいます。
それまでぞんざいに扱われてきたというその亡骸は、芦屋の人々の手によって、手厚く葬られたと伝わる場所です。
大阪の鵺塚
大阪市都島区、ビルと住宅に囲まれた一角に小さな祠があります。
京から流された鵺の亡骸は淀川を流れ下り、当時は湿地帯だったこの辺りに流れ着いたのだとか。
祟りを恐れた村人は、その亡骸を丁重に葬りこの塚を築いたと伝えられています。
現在の塚は、大阪府が明治初めに改修、祠も昭和に入り地元の人々によって建て替えられました。
こんなところにも鵺!
見かける機会はあまりないかもしれませんが、大阪港の紋章にも鵺がいます。
大阪港は、1980年フランスのル・アーブル港と姉妹港提携を結びました。
これをきっかけに、誕生した大阪港の紋章。
西洋の紋章のルールに則り、中央の盾を両側から支える「サポーター」なるものが選ばれました。サポーターは力強く、敵を威嚇するという役割を担います。
そこで選ばれたのが鵺。
当初、河童や天狗といった妖怪も候補に上がったそうですが、古代の日本船が描かれた盾をしっかりと支え持つ大役に選ばれたのは鵺でした。
「鵺」は正体不明という言葉にもなった?
「鵺」は、時代とともにこんな使われ方をするようにもなりました。
「鵺のような人」「鵺的存在」
なんだか掴みどころがない、正体不明の人や、曖昧なさまを比喩する言葉です。
暗闇に不気味な鳴き声だけが響き渡る、そのイメージからなのか、また、さまざまな動物が一つになって、どれが本当の姿かわからないからなのか。
どこから生まれたのか、こんな言葉も。
国会議事堂があるこの国の政治の中枢、永田町。そこで行われている政治の不透明さを揶揄して「永田町には鵺が棲む」と。
どちらにしても、あまりよい意味では使われない言葉のようです。
鵺が登場するさまざまな作品
不気味な妖怪として『平家物語』に登場してから、鵺はその時代時代でさまざまに描かれるようになります。
浮世絵
代表的なこの2点。迫力のある鵺退治の場面、はっきりと鵺の姿が描かれていることもあり、思わず目を凝らしてしまいます。
■歌川国芳 『木曽街道六十九次』「京都 鵺 大尾」
画像出典: 東京都立図書館「TOKYOアーカイブ」
日本橋から始まりこの京都まで、中山道をテーマにした歌川国芳の72枚の揃物です。
「武者絵の国芳」といわれますが、この作品はといえば、画面いっぱいに黒雲に乗ったおぞましい鵺の姿を描いています。
それに対して、頼政と猪早太を画面右下に滑稽なほど小さく配した、その大胆な構図の面白さが際立った作品です。
また、それぞれ宿場の風景が描かれる左上のコマ絵。
御所車の形に切り抜かれた中に描かれているのは、鵺の黒雲が湧き出るという、東三条の森でしょうか。そこから鵺の乗った黒雲が湧き出でているようです。
右上の『木曽街道六十九次之内』のタイトルの縁には、黒雲と松明の火、そして弓矢も描かれています。
【書誌情報】
絵師・落款:歌川国芳(画)・一勇斎國芳画(桐印)
出版年:嘉永05(1852)10
所蔵館名:東京都立中央図書館
■月岡芳年 『新形三十六怪撰』「内裏に猪早太鵺を刺図」
画像出典: 国立国会図書館「NDLイメージバンク」
江戸末期から明治中期という激動の時代に活躍し、「最後の浮世絵師」ともいわれた天才浮世絵師、月岡芳年。
この作品は、妖怪や伝承をもとにした連作の中のひとつです。
猪早太が馬乗りになって、鵺にとどめを刺すシーン。
目をひん剥いた絶命寸前の鵺の表情と、猪早太の厳しい表情の対比。なんとも緊迫感のある一場面です。
丁寧に描かれた鎧の細部や鵺の毛の一本一本、目の前で繰り広げられているかのような、とても写実的な一枚です。
【書誌情報】
著者:月岡芳年
出版者:佐々木豊吉
出版年月日:明治23
漫画やアニメ
現代の漫画やアニメにも鵺が取り上げられています。
不気味で謎の多い鵺は、いつの時代もどこか人々を惹きつける力があるようです。
■ゲゲゲの鬼太郎
妖怪といえば、ゲゲゲの鬼太郎、という方も多いのではないでしょうか。
鵺は、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第5、6シリーズに登場。
第5シリーズでは、悪名高き妖怪とされてきた鵺が、最後には人間たちを救い、平和を祈る妖怪として描かれています。
一方、第6シリーズでは、強烈な鳴き声を放ち、眠らない都会の人間たちの生気を吸い取る極悪の妖怪という描かれ方。
まったく違う性質と姿かたちで描かれているのもまた謎多き鵺らしく、興味深いところです。
鵺は、水木しげるによる日本各地の妖怪を網羅した解説書『図説 日本妖怪大鑑』にも、もちろん掲載されています。
また和雑貨ブランド「倭物やカヤ」では、漫画家「水木しげる」の作品をモチーフにしたアイテムを、2025年7月11日(金)より、公式オンラインショップおよび全国の「倭物やカヤ」直営店舗にて販売しております。特集ページにてアイテムの詳しい情報を掲載していますので、ぜひご覧ください!
■モノノ怪
古典的な妖怪の物語に、斬新なアートの世界を融合させた、独自の世界観を持つアニメーション。
モノノ怪を斬る「退魔の剣」を携える主人公薬売りが、対峙するモノノ怪の形(正体)、真(事件の真相)、理(事件の背景)を解き明かします。
日本の伝統文化、雅な香道の世界と鵺を組み合わせた第8、9回。
時の権力者たちがこぞって手に入れたがったという、伝説の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」を巡って物語が展開します。
じつは、鵺を退治した源頼政は、褒美として太刀「獅子王」とともにこの蘭奢待も与えられたという説が残るのです。
「見る場所によって姿の違うモノノ怪が鵺」の解釈もまたさまざまで、実に深みのあるストーリーです。
モノクロとカラーを巧みに組み合わせた画面、伊藤若冲や長沢芦雪などを思わせる襖絵や屏風も印象的。
全3章で構成される、大奥を舞台とした『劇場版モノノ怪』が公開されています。
妖怪が好きな人にオススメのアイテム
倭物やカヤでは、妖怪にまつわるさまざまなグッズを取り扱っております。
まさに、着る、NIPPON ART。
「妖怪」「神仏」「生き物」の3つをテーマに、さまざまな浮世絵をコラージュしました。
カヤオリジナル柄の大胆でクールな一枚、ワードローブに加えてみませんか?
「YOKAI」には、鵺も潜んでいるかもしれませんよ!
浮世色メンズTシャツ
しっかりと厚みのあるコットン100%のTシャツです。
高画質高精細のデジタルプリントで、大胆で繊細な柄が一層際立ちます。
袖は少し長め、女性もドロップショルダーの5分袖として、着ていただけます。
意外にどんなボトムスにも合うので、この夏出番が多くなりそうな一枚です。
【リバーシブル】浮世色メンズ羽織
柄を表にするもよし、無地を表にして柄をチラリと見せるもよしの、リバーシブル羽織。
和の仕立てが、浮世絵柄をより際立たせてくれます。
ポリエステル100%なので、お手入れも簡単。
軽い羽織ものとして、カジュアルな着こなしのポイントに。
特集ページでアイテムの詳細が見られますので、ぜひチェックしてみてください!
鵺の正体は誰も知らない
古の時代、暮らしの中で説明できないもの、いつもと違う現象、何かありそうな雰囲気、そんな目には見えない、言葉にはできないようなものごとに名前をつけた、それが妖怪です。
暮らしの中で生まれた妖怪、つまり妖怪がいる世界は人間が暮らす世界。
妖怪のいる世界は、ここ。
妖しく、怪しい。
その中でも、また格別に「あやしい」、つまり本当に何者なのかわからないのが、鵺を伝説たらしめているようです。
声はトラツグミに似ているのかもしれません。でも、正体は、本当は誰も知らない、それが鵺。
夜、起きている者だけが耳にする、そして恐怖する、何かを告げたがっているような鳴き声。
どこからともなく聞こえてくる、その声。
そう、その声は鵺ではありませんか?
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