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エジプトの世界遺産と聞いて、どんなスポットが思い浮かびますか? ほとんどの方はピラミッドやカルナック神殿、アブ・シンベル神殿といった古代エジプトの遺跡を思い浮かべるのではないでしょうか。
実は、エジプトの首都であるカイロも世界遺産です。 今回は、カイロ歴史地区の成り立ち・注目スポット・見どころを分かりやすく解説します。 きっと、古代以上に深淵な建築・文化・精神世界が息づくカイロ歴史地区に魅了されますよ!
ナイル川のデルタに発展したカイロはエジプトの首都であり、アフリカで最大級の都市です。
「カイロ歴史地区」とはカイロの東南部にある地域で、世界遺産に登録されています。
カイロ歴史地区にはモスクやイスラムの教育機関マドラサ、巨大バザールなどが建ち並び、イスラム文化の中心地として栄えた当時の姿を今に伝えています。
しかも、これらの建物は遺跡ではなく、いまも日常の生活の舞台として現役で使われているのです。
カイロの街ができ始めたのは7世紀。 ムハンマドの没後間もない黎明期のイスラム勢力が、アフリカ攻略の拠点としてフスタート(宿営地)を築きました。 その場所は現在のカイロ南部にあり、後にイスラム都市が発展していく原型になったのです。
10世紀、フスタートはチュニジアのファーティマ朝に征服されました。 ファーティマ朝はフスタートの北に新たに「ミスル・アル=カーヒラ(勝者の都市)」を建設し、それがカイロへと発展していくのです。 このカーヒラがカイロの語源とされます。
12世紀には、サラディン(サラーフ・アッディーン)がアイユーブ朝を創始。 彼は十字軍に対抗するため、高台にシタデルと呼ばれる城塞を築きました。 このシタデルは王宮として使用され、カイロの政治の中心となっていったのです。
13世紀、エジプトではマムルーク朝が成立し、地中海とインド洋の交易で繁栄を極めました。 潤沢な経済力を背景に、モスクやミナレット(尖塔)などの建造物が続々と建造されたのです。
14世紀のカイロは「千のミナレットがそびえる都」と謳われ、イスラム世界で最大級の都市として繁栄しました。 後述するカイロ最大級のミナレット「スルタン・ハサン・モスク」も14世紀につくられたものです。
16世紀以降、オスマン帝国支配下の時代を経て、19世紀にはムハンマド・アリー朝が成立。 この時代、新市街の建設が進められ、都市の景観が大きく変わる一方で、歴史ある街並みはカイロ歴史地区として残されたのです。
カイロ歴史地区を彩る建物の多くは、モスクなどイスラム文化と深く関わっています。 中世以降、イスラム世界の一員として発展してきたエジプトの歴史を考えると自然なことですが、それ以上に、カイロがイスラム世界の中心都市となった理由があるのです。
13世紀、イスラム世界の中心だったアッバース朝がモンゴルに滅ぼされました。 その際、ムハンマドの後継者とされるカリフは、バグダードからカイロへと逃れてきたのです。 こうして、カイロは政治と信仰の両面で、イスラム世界の中心地となっていきました。
現在、エジプトの人口の約90%がイスラム教徒です。 残る約10%のほとんどはキリスト教徒で、なかでも多いのがコプト教徒と呼ばれる人々。 このコプト教徒こそが、カイロ歴史地区のもう一つの主役といえる存在です。
コプト教とは、西暦60年頃に聖マルコがエジプトで布教を行ったことに始まる一派です。 原始キリスト教に近く、古代エジプトの暦を用いるなど独特の文化を持っています。 カイロ歴史地区とは、イスラムとコプトの精神世界が共存する場所なのです。
カイロ歴史地区が世界遺産として評価された理由は、大きく3つ。
これらの点が評価され、1979年、「イスラム都市カイロ」が世界遺産に登録。 その後、2007年に名称が「カイロ歴史地区」に変更されました。 現在では、エジプト旅行の人気観光地となっています。
カイロ歴史地区は、大きく分けて「イスラム地区」と「オールド・カイロ」のエリアからなります。
イスラム地区とは、旧市街にあたります。 10世紀にファーティマ朝が築いたミスル・アル=カーヒラが発展してできた都市です。
一方、オールド・カイロは、さらに古い時代に遡る場所です。 ローマ時代以前から存在していた地域で、カイロという都市が誕生する前の集落があったとされます。
つまりカイロ歴史地区とは、古代と中世の文化が重層的に積み重なった歴史の舞台なのです。 まずは、イスラム建築が林立するイスラム地区がどんな場所か見ていきましょう!
アル=アズハル大学は、アル=アズハル・モスクに付属するマドラサ(イスラム世界における高等教育機関)です。 970年、ファーティマ朝が新たに築いた首都(現在のカイロ)に初めてモスクが建設され、大学も併設されました。
アズハルという名称は、預言者ムハンマドの娘ファーティマ・アッ=ザフラーに由来し、「最も美しく輝く」といった意味です。
アル=アズハル大学は現在もイスラム最古の大学であり、スンニ派の最高教育機関と位置付けられています。 建物の荘厳な外観には、千年以上にわたりイスラム世界の知を支えてきた歴史の重みが表れています。
シタデルは、カイロ南東のモカッタムの丘に築かれた城塞です。 1176年にアイユーブ朝のサラディンが建造し、それから実に約700年にわたって宮殿として使用され、カイロの中枢を担ってきました。
19世紀前半に、ムハンマド・アリー朝のムハンマド・アリーによって現在の建物に一新されました。 その象徴が、1830年~1848年に建造されたムハンマド・アリー・モスクです。 オスマン帝国の建築様式で、別名「アラバスター・モスク」。 高さ84mのミナレットは、エジプトで最も高いとされます。
現在のシタデルは博物館になっており、敷地内に残る4つのモスクや、カイロの街を一望できる絶景も見どころです。
ハーン・ハリーリは、イスラム地区の中心部に位置するスーク(市場)です。 近くにはエジプトで最も由緒ある聖地とされるアル・フセイン・モスクもあり、生活・信仰・文化・歴史が交錯する、まさしくカイロの心臓部です。
12世紀、アイユーブ朝のサラディンが一帯を商業エリアに定めました。 14世紀、マムルーク朝の時代には周囲にハーン(隊商宿)が林立し、ハーン・ハリーリの原型となる商業地区が形成されたのです。 最大のハーンを建設したハリーリという人物が、スークの名前の由来と伝わります。 16世紀以降、オスマン帝国時代になると再開発が繰り返され、路地が複雑に入り組んだ迷宮のような構造になったのです。
現在は、カイロの旅行やツアーでは定番の超人気目玉スポットになっています。
ハーン・ハリーリにはあらゆる物を扱う店がひしめき、お土産を探す旅行者にもぴったりのスポットです。
スークは基本的に値札がなく、値段は交渉で決まります。 最初は高めの価格を提示され、そこから値切り交渉スタート! 値切りのコツは、いくつかあります。
現地の文化では、交渉は重要なコミュニケーション。 怒ったり深刻になったりせず、交流として楽しみましょう。
コーヒーや乳香、シーシャ(水タバコ)、そして数々のスパイスの香りが漂うスークを歩けば、旅情は最高潮に達するはずです。 エキゾチックなフルーツやナッツ、スイーツを楽しむのもよいでしょう。 現地の人々も甘いもの好きで、そこかしこで食べています。
スリには注意しつつ、バザールを満喫しましょう!
スルタン・ハサン・モスクを建造したのは、14世紀のマムルーク朝のスルタン、ナースィル・ハサンです。 なんと、ギザのピラミッドを覆っていた化粧石が建材に使われていると伝わっています!
建築を重視したマムルーク朝の建造物のなかでも最高傑作の一つとされ、建物の外も中も、大理石や化粧漆喰を用いた精緻な装飾で埋め尽くされています。
中庭を囲むイーワーン(アーチ天井の空間)や黄金で飾られたミフラーブ(メッカの方角を示すくぼみ)も見どころ。 柱の一本に至るまで刻まれた人々の深い信仰が胸を打ちます。
建物の奥には、モスクの完成をみることなく暗殺されたナースィル・ハサンの霊廟があります。
約80mのミナレットは、カイロ歴史地区でもトップクラスの高さ。 頂上からはピラミッドを遠望できるといわれます。
イブン・トゥールーン・モスクは、879年、エジプトでトゥールーン朝を創始したアフマド・イブン・トゥールーンに建造されました。 トゥールーン朝時代の建築は現存例が少なく、創建当時の姿をとどめるモスクとしてはカイロ歴史地区でも最古です
このモスクは当時のエジプトでは異質な建造物で、建材として一般的だった石の円柱ではなく、レンガを材料とする角柱が使用されています。 当時のアッバース朝の首都サーマッラーでは建築にレンガが用いられており、その様式をもちこんだと考えられています。
高さ40mのミナレットは外壁に螺旋階段がある珍しい構造で、この様式もサーマッラーから持ち込まれました。 ミナレットの上からは、モスクの全景やカイロ市街を一望でき、さらに天気によってはギザの大ピラミッドまで見渡せるとか。
礼拝堂として建造されたこのモスクは、ファーティマ朝時代にはカリフの儀式の場となり重視されました。 13世紀のマムルーク朝時代にはメッカ巡礼の宿泊施設となり、19世紀には工場、さらには精神病院に転用される数奇な運命をたどったのです。
オールド・カイロは、後にカイロへと発展したミスル・アル=カーヒラが築かれる以前の建造物が残る場所です。 当時より拡大した現在のカイロ全体においては、最も古くからある市街地です。
起源については諸説ありますが、現在も残るバビロン城はローマ時代に建造されました。 7世紀にはイスラム勢力がこの地域に基地「フスタート」を建設。 現在はキリスト教やユダヤ教の建物が建ち並び、多くのコプト教徒が居住するエリアとなっています。
ベン・エズラ・シナゴーグは、ユダヤ教の宗教施設です。 紀元前605年~560年前後に強制移住させられたユダヤ人がシナゴーグ(礼拝や集会を行うための施設)を建てたのが始まりとされます。
また、8世紀のファーティマ朝時代にはこの場所に聖堂があったのですが、税が払えず売却されてしまったとか。 その跡地を購入したのがアブラハム・ベン・エズラというユダヤ人だったため、現在のシナゴーグの名称が定着したとされます。
これらはあくまで伝承ですが、1894年に重要な発見がありました。 地下のゲニザ(保管庫)から謎めいた古文書が発見されたのです。
これら「ゲニザ文書」は、ヘブライ文字でアラビア語が記されています。 中世のユダヤ人だけが用いた記録方法で、中世の時点でここが宗教施設だった証といえるのです。
コンパクトながらも清潔感のある空間が、そこで培われた信仰心の強さを際立たせます。
アムル・イブン・アル=アース・モスクは、642年に建設された、エジプトでもアフリカでも最初期のモスクです。ただし、建物は何度も建て替えられています。
アムル・イブン・アル=アースとは、641年にエジプトを征服したイスラム勢力の将軍。 彼は東ローマ帝国の拠点だったバビロン城を攻略するためにフスタート(宿営地)を設置しました。 その地に建てられたモスクが、彼の名を冠して呼ばれているのです。
創建当初は、ヤシの葉が屋根に用いられるなど簡素な建物でしたが、フスタートが首都として発展するに伴い、立派になっていきました。 火事や地震の影響で何度も再建され、現在の建物は18世紀以降のものです。
なお、アムル・イブン・アル=アース・モスクを含め、カイロ歴史地区にあるモスクは厳粛な信仰の場です。 男性と女性で入口や礼拝スペースが分かれていたり、肌を露出しない服装が求められたりします。 現地の文化や信仰に敬意を払い、マナーを守って見学しましょう。
エル・ムアッラカ教会は、キリスト教の一派であるコプト教の教会です。 創建は7世紀と伝わり、再建や改修が繰り返されてきました。
ムアッラカは「吊るされた」を意味し、ローマ時代のバビロン城の城門の上に建っているためこう呼ばれています。 ノアの箱舟を模したとされる天井や、精巧で美麗なイコン(聖像画)には、目を見張らずにいられないでしょう。
カイロ歴史地区は、古代から中世、そして現代へと続くエジプトの歴史と宗教の縮図です。 旅行で訪れれば、世界遺産としての価値はもちろん、今も人々が暮らし、祈り、商いを続ける「生きた文化」に触れられるでしょう。 あなたもカイロ歴史地区を旅してみませんか?
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エジプトの世界遺産と聞いて、どんなスポットが思い浮かびますか?
ほとんどの方はピラミッドやカルナック神殿、アブ・シンベル神殿といった古代エジプトの遺跡を思い浮かべるのではないでしょうか。
実は、エジプトの首都であるカイロも世界遺産です。
今回は、カイロ歴史地区の成り立ち・注目スポット・見どころを分かりやすく解説します。
きっと、古代以上に深淵な建築・文化・精神世界が息づくカイロ歴史地区に魅了されますよ!
目次
世界最大規模のイスラム都市:
カイロ歴史地区
ナイル川のデルタに発展したカイロはエジプトの首都であり、アフリカで最大級の都市です。
「カイロ歴史地区」とはカイロの東南部にある地域で、世界遺産に登録されています。
カイロ歴史地区にはモスクやイスラムの教育機関マドラサ、巨大バザールなどが建ち並び、イスラム文化の中心地として栄えた当時の姿を今に伝えています。
しかも、これらの建物は遺跡ではなく、いまも日常の生活の舞台として現役で使われているのです。
元は軍事都市だった?カイロ歴史地区の歴史と呼び名の由来
7世紀~
カイロの街ができ始めたのは7世紀。
ムハンマドの没後間もない黎明期のイスラム勢力が、アフリカ攻略の拠点としてフスタート(宿営地)を築きました。
その場所は現在のカイロ南部にあり、後にイスラム都市が発展していく原型になったのです。
10世紀~
10世紀、フスタートはチュニジアのファーティマ朝に征服されました。
ファーティマ朝はフスタートの北に新たに「ミスル・アル=カーヒラ(勝者の都市)」を建設し、それがカイロへと発展していくのです。
このカーヒラがカイロの語源とされます。
■12世紀~
12世紀には、サラディン(サラーフ・アッディーン)がアイユーブ朝を創始。
彼は十字軍に対抗するため、高台にシタデルと呼ばれる城塞を築きました。
このシタデルは王宮として使用され、カイロの政治の中心となっていったのです。
■13世紀~
13世紀、エジプトではマムルーク朝が成立し、地中海とインド洋の交易で繁栄を極めました。
潤沢な経済力を背景に、モスクやミナレット(尖塔)などの建造物が続々と建造されたのです。
■14世紀~
14世紀のカイロは「千のミナレットがそびえる都」と謳われ、イスラム世界で最大級の都市として繁栄しました。
後述するカイロ最大級のミナレット「スルタン・ハサン・モスク」も14世紀につくられたものです。
■16世紀~
16世紀以降、オスマン帝国支配下の時代を経て、19世紀にはムハンマド・アリー朝が成立。
この時代、新市街の建設が進められ、都市の景観が大きく変わる一方で、歴史ある街並みはカイロ歴史地区として残されたのです。
カイロ歴史地区の核心をなす二つの宗教
カイロ歴史地区を彩る建物の多くは、モスクなどイスラム文化と深く関わっています。
中世以降、イスラム世界の一員として発展してきたエジプトの歴史を考えると自然なことですが、それ以上に、カイロがイスラム世界の中心都市となった理由があるのです。
13世紀、イスラム世界の中心だったアッバース朝がモンゴルに滅ぼされました。
その際、ムハンマドの後継者とされるカリフは、バグダードからカイロへと逃れてきたのです。
こうして、カイロは政治と信仰の両面で、イスラム世界の中心地となっていきました。
現在、エジプトの人口の約90%がイスラム教徒です。
残る約10%のほとんどはキリスト教徒で、なかでも多いのがコプト教徒と呼ばれる人々。
このコプト教徒こそが、カイロ歴史地区のもう一つの主役といえる存在です。
コプト教とは、西暦60年頃に聖マルコがエジプトで布教を行ったことに始まる一派です。
原始キリスト教に近く、古代エジプトの暦を用いるなど独特の文化を持っています。
カイロ歴史地区とは、イスラムとコプトの精神世界が共存する場所なのです。
カイロ歴史地区が
世界遺産に登録された理由
カイロ歴史地区が世界遺産として評価された理由は、大きく3つ。
これらの点が評価され、1979年、「イスラム都市カイロ」が世界遺産に登録。
その後、2007年に名称が「カイロ歴史地区」に変更されました。
現在では、エジプト旅行の人気観光地となっています。
カイロ歴史地区の主要スポット:
イスラム地区
カイロ歴史地区は、大きく分けて「イスラム地区」と「オールド・カイロ」のエリアからなります。
イスラム地区とは、旧市街にあたります。
10世紀にファーティマ朝が築いたミスル・アル=カーヒラが発展してできた都市です。
一方、オールド・カイロは、さらに古い時代に遡る場所です。
ローマ時代以前から存在していた地域で、カイロという都市が誕生する前の集落があったとされます。
つまりカイロ歴史地区とは、古代と中世の文化が重層的に積み重なった歴史の舞台なのです。
まずは、イスラム建築が林立するイスラム地区がどんな場所か見ていきましょう!
世界最古の教育機関:
アル=アズハル大学
アル=アズハル大学は、アル=アズハル・モスクに付属するマドラサ(イスラム世界における高等教育機関)です。
970年、ファーティマ朝が新たに築いた首都(現在のカイロ)に初めてモスクが建設され、大学も併設されました。
アズハルという名称は、預言者ムハンマドの娘ファーティマ・アッ=ザフラーに由来し、「最も美しく輝く」といった意味です。
アル=アズハル大学は現在もイスラム最古の大学であり、スンニ派の最高教育機関と位置付けられています。
建物の荘厳な外観には、千年以上にわたりイスラム世界の知を支えてきた歴史の重みが表れています。
カイロの街と歴史を俯瞰する:
シタデル
シタデルは、カイロ南東のモカッタムの丘に築かれた城塞です。
1176年にアイユーブ朝のサラディンが建造し、それから実に約700年にわたって宮殿として使用され、カイロの中枢を担ってきました。
19世紀前半に、ムハンマド・アリー朝のムハンマド・アリーによって現在の建物に一新されました。
その象徴が、1830年~1848年に建造されたムハンマド・アリー・モスクです。
オスマン帝国の建築様式で、別名「アラバスター・モスク」。
高さ84mのミナレットは、エジプトで最も高いとされます。
現在のシタデルは博物館になっており、敷地内に残る4つのモスクや、カイロの街を一望できる絶景も見どころです。
カイロ最大の市場:
ハーン・ハリーリ
ハーン・ハリーリは、イスラム地区の中心部に位置するスーク(市場)です。
近くにはエジプトで最も由緒ある聖地とされるアル・フセイン・モスクもあり、生活・信仰・文化・歴史が交錯する、まさしくカイロの心臓部です。
12世紀、アイユーブ朝のサラディンが一帯を商業エリアに定めました。
14世紀、マムルーク朝の時代には周囲にハーン(隊商宿)が林立し、ハーン・ハリーリの原型となる商業地区が形成されたのです。
最大のハーンを建設したハリーリという人物が、スークの名前の由来と伝わります。
16世紀以降、オスマン帝国時代になると再開発が繰り返され、路地が複雑に入り組んだ迷宮のような構造になったのです。
現在は、カイロの旅行やツアーでは定番の超人気目玉スポットになっています。
スークを楽しむなら値切りを使え!
ハーン・ハリーリにはあらゆる物を扱う店がひしめき、お土産を探す旅行者にもぴったりのスポットです。
スークは基本的に値札がなく、値段は交渉で決まります。
最初は高めの価格を提示され、そこから値切り交渉スタート!
値切りのコツは、いくつかあります。
現地の文化では、交渉は重要なコミュニケーション。
怒ったり深刻になったりせず、交流として楽しみましょう。
コーヒーや乳香、シーシャ(水タバコ)、そして数々のスパイスの香りが漂うスークを歩けば、旅情は最高潮に達するはずです。
エキゾチックなフルーツやナッツ、スイーツを楽しむのもよいでしょう。
現地の人々も甘いもの好きで、そこかしこで食べています。
スリには注意しつつ、バザールを満喫しましょう!
カイロで最も高い尖塔を持つ:
スルタン・ハサン・モスク
スルタン・ハサン・モスクを建造したのは、14世紀のマムルーク朝のスルタン、ナースィル・ハサンです。
なんと、ギザのピラミッドを覆っていた化粧石が建材に使われていると伝わっています!
建築を重視したマムルーク朝の建造物のなかでも最高傑作の一つとされ、建物の外も中も、大理石や化粧漆喰を用いた精緻な装飾で埋め尽くされています。
中庭を囲むイーワーン(アーチ天井の空間)や黄金で飾られたミフラーブ(メッカの方角を示すくぼみ)も見どころ。
柱の一本に至るまで刻まれた人々の深い信仰が胸を打ちます。
建物の奥には、モスクの完成をみることなく暗殺されたナースィル・ハサンの霊廟があります。
約80mのミナレットは、カイロ歴史地区でもトップクラスの高さ。
頂上からはピラミッドを遠望できるといわれます。
カイロ最古のモスク:
イブン・トゥールーン・モスク
イブン・トゥールーン・モスクは、879年、エジプトでトゥールーン朝を創始したアフマド・イブン・トゥールーンに建造されました。
トゥールーン朝時代の建築は現存例が少なく、創建当時の姿をとどめるモスクとしてはカイロ歴史地区でも最古です
このモスクは当時のエジプトでは異質な建造物で、建材として一般的だった石の円柱ではなく、レンガを材料とする角柱が使用されています。
当時のアッバース朝の首都サーマッラーでは建築にレンガが用いられており、その様式をもちこんだと考えられています。
高さ40mのミナレットは外壁に螺旋階段がある珍しい構造で、この様式もサーマッラーから持ち込まれました。
ミナレットの上からは、モスクの全景やカイロ市街を一望でき、さらに天気によってはギザの大ピラミッドまで見渡せるとか。
礼拝堂として建造されたこのモスクは、ファーティマ朝時代にはカリフの儀式の場となり重視されました。
13世紀のマムルーク朝時代にはメッカ巡礼の宿泊施設となり、19世紀には工場、さらには精神病院に転用される数奇な運命をたどったのです。
カイロ歴史地区の主要スポット:
オールド・カイロ
オールド・カイロは、後にカイロへと発展したミスル・アル=カーヒラが築かれる以前の建造物が残る場所です。
当時より拡大した現在のカイロ全体においては、最も古くからある市街地です。
起源については諸説ありますが、現在も残るバビロン城はローマ時代に建造されました。
7世紀にはイスラム勢力がこの地域に基地「フスタート」を建設。
現在はキリスト教やユダヤ教の建物が建ち並び、多くのコプト教徒が居住するエリアとなっています。
ユダヤ社会の貴重な建築物:
ベン・エズラ・シナゴーグ
ベン・エズラ・シナゴーグは、ユダヤ教の宗教施設です。
紀元前605年~560年前後に強制移住させられたユダヤ人がシナゴーグ(礼拝や集会を行うための施設)を建てたのが始まりとされます。
また、8世紀のファーティマ朝時代にはこの場所に聖堂があったのですが、税が払えず売却されてしまったとか。
その跡地を購入したのがアブラハム・ベン・エズラというユダヤ人だったため、現在のシナゴーグの名称が定着したとされます。
これらはあくまで伝承ですが、1894年に重要な発見がありました。
地下のゲニザ(保管庫)から謎めいた古文書が発見されたのです。
これら「ゲニザ文書」は、ヘブライ文字でアラビア語が記されています。
中世のユダヤ人だけが用いた記録方法で、中世の時点でここが宗教施設だった証といえるのです。
コンパクトながらも清潔感のある空間が、そこで培われた信仰心の強さを際立たせます。
エジプト初のモスク:
アムル・イブン・アル=アース・モスク
アムル・イブン・アル=アース・モスクは、642年に建設された、エジプトでもアフリカでも最初期のモスクです。ただし、建物は何度も建て替えられています。
アムル・イブン・アル=アースとは、641年にエジプトを征服したイスラム勢力の将軍。
彼は東ローマ帝国の拠点だったバビロン城を攻略するためにフスタート(宿営地)を設置しました。
その地に建てられたモスクが、彼の名を冠して呼ばれているのです。
創建当初は、ヤシの葉が屋根に用いられるなど簡素な建物でしたが、フスタートが首都として発展するに伴い、立派になっていきました。
火事や地震の影響で何度も再建され、現在の建物は18世紀以降のものです。
なお、アムル・イブン・アル=アース・モスクを含め、カイロ歴史地区にあるモスクは厳粛な信仰の場です。
男性と女性で入口や礼拝スペースが分かれていたり、肌を露出しない服装が求められたりします。
現地の文化や信仰に敬意を払い、マナーを守って見学しましょう。
コプト教の教会:
エル・ムアッラカ教会
エル・ムアッラカ教会は、キリスト教の一派であるコプト教の教会です。
創建は7世紀と伝わり、再建や改修が繰り返されてきました。
ムアッラカは「吊るされた」を意味し、ローマ時代のバビロン城の城門の上に建っているためこう呼ばれています。
ノアの箱舟を模したとされる天井や、精巧で美麗なイコン(聖像画)には、目を見張らずにいられないでしょう。
カイロ歴史地区で時間旅行へ
カイロ歴史地区は、古代から中世、そして現代へと続くエジプトの歴史と宗教の縮図です。
旅行で訪れれば、世界遺産としての価値はもちろん、今も人々が暮らし、祈り、商いを続ける「生きた文化」に触れられるでしょう。
あなたもカイロ歴史地区を旅してみませんか?
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