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太陽の日差しがさんさんと降り注ぐ暑い夏。そんなときには、見た目ものどごしもさっぱりとした、そうめんが食べたくなりませんか?そうめんはさまざまな食べ方やアレンジレシピがありますが、とりわけ涼しげなのが「流しそうめん」ではないでしょうか。
日本の夏の風物詩ともいえる流しそうめんですが、そもそもどうしてそうめんを流すようになったのか?どうして竹を使うのか?知らないことも多いですよね。そこで、流しそうめんのルーツや、地域によって異なる流しそうめんの文化など、まつわるさまざまなトピックをご紹介していきます!
このコラムを読んで、さっぱりと涼やかな気分になっていただけたらうれしいです♪
子どもから大人まで、みんなが楽しめる流しそうめん。いつ、どうして始まったのか気になりませんか?
流しそうめんが始まった時期や場所、そしてどうして竹にそうめんを流すのかなどについてわかりやすく解説していきます。流しそうめんについての知識が増えれば、もっと流しそうめんを楽しめるはず!
「竹にそうめんを流す」そんな風流な見た目から、流しそうめんは日本で古くから行われているイメージがありませんか?
実はその歴史は意外と浅いんです。流しそうめんの始まりは、1955年(昭和30年)。九州・宮崎県の高千穂で生まれました。暑い夏、当時そこに駐在していた新聞記者が、外でゆでたそうめんを割った竹に入れて、高千穂の冷たい水にさらして涼を得たことがきっかけといわれています。新聞記者は、この体験を記事にしました。そして、その記事を読んだ地元で食堂を営む社長が、現在の流しそうめんのスタイルを思いついたそうです。古来より続く伝統の文化でもなく、そうめんを食べたい新聞記者がそうめんと竹、冷水を組み合せるという、涼を得るための工夫が進化して生まれた文化なのですね。
1959年(昭和34年)ごろには、流しそうめんが商業的な流れに乗り、九州から名水の地を中心に、日本全国へと広まっていきました。
なぜ竹を使うのか?それは、自然の竹を使うことで、より清涼感を感じられるという理由もあります。清涼感を感じるというのは夏の日本において幸福感を得るに等しいですよね。海に囲まれた島国ならでは蒸し蒸しと湿度の高い熱さはとても苦しい…
だから、涼を得ることにこだわるのではないでしょうか。涼を得るとは、風を通したり日を遮ることで涼むことをいいます。冷たいそうめんで涼を得るためのこだわりとして「竹」を使うのは、日本人ならではのこだわりなのかもしれません。
実は、筆者(私)は子どものころに実家で流しそうめんをしたことがあります。親戚から竹をもらい、父が竹を割り、つなぎ合わせ、手作りで流しそうめん用の竹樋(たけどい)を作りました。市販の「流しそうめんキット」のようなものも売られていて、手軽に楽しめますが、やはり実際に手間をかけて竹を使って流しそうめんをすると、とても涼しい気分になれたことを覚えています。
流しそうめんの歴史は意外と最近のもの、ということがわかりましたね。では、ここからは番外編として、流しそうめんにまつわるおもしろいトピックをご紹介していきたいと思います。ひとことで流しそうめんとはいっても、文化や地域の特色など、いろいろな不思議なお話があるんですよ♪
みなさんは、七夕にそうめんを食べると「願いが叶う」といわれているのを知っていますか?
流しそうめんの歴史は意外と最近始まったものですが、そうめん自体は日本に古くからありました。奈良時代には、そうめんの原型となる「索餅(さくべい:小麦粉・米粉・塩を使って水で練り、細長く伸ばして縄のようにねじった食べもの)」が伝わっています。そして、平安時代には、1年の健康を祈って七夕にそうめんを食べたという記録が残っています。
七夕にそうめんを食べるようになったのは、古代中国の伝説が由来となっています。昔、7月7日に熱病で亡くなってしまった子どもの霊が病を流行らせました。そのときにお供えしたのがその子どもの好物であった「索餅(さくべい)」で、それ以降、病がおさまったという伝説があります。
また、七夕にそうめんを食べる理由はほかにもあります。たとえば、そうめんを白い糸に見立てて、「手芸や機織りが上達しますように」という願いを込めたという説や、そうめんを赤い糸に見立てて、「(織姫さまと彦星さまのような)素敵な出会いがありますように」という願いを込めたという説もあります。
七夕はちょうど暑さも本格的になってくる時期ですから、みなさんも、願いを込めながら、さっぱりとしたそうめんを食べてみてはいかがでしょうか?
流しそうめんというと、竹樋にそうめんを流すというイメージがあると思いますが、鹿児島では少し変わった流しそうめんの文化があります。鹿児島県では「そうめん流し」という夏の風物詩があります。これは、一般的な流しそうめんとは異なり、ドーナツ型の流し器で水流を人工的に作り出し、そこにそうめんを流して食べます。上からそうめんを流す人を必要とせず、またみんなでテーブルを囲んで楽しめるところも「そうめん流し」のポイントです。
「そうめん流し」は、鹿児島県指宿市の唐船峡が発祥の地といわれています。1957年(昭和37年)に観光アピールのために始まったそうです。ちなみに、唐船峡の清水は「平成の水百選」にも選ばれている名水で、1日10万トンも湧出するんですよ。
また、1973年には昭和天皇の弟である高松宮ご夫婦も訪れました。このことから、さらに「そうめん流し」の人気に拍車がかかりました。鹿児島では、風物詩であると同時に、人々のソウルフードともなっている「そうめん流し」。鹿児島のみなさんは「そうめん流し」に誇りを持っているため、うっかり「流しそうめん」といってしまうと「そうめん流しだよ」と指摘されることもあるとか。鹿児島を訪れた際は、ぜひ「そうめん流し」を楽しんでみてはいかがでしょうか。
流しそうめんは、竹をつなげて竹樋を作りますよね。流しそうめんの到達距離のギネス世界記録に挑戦するイベントが、大分県で2023年に開かれました。そこでは、4,031.76メートルという新記録が誕生しました。ちなみに、そうめんがスタートしてからゴールするまで、約1時間半もかかったとか。
これまでの記録は、長野県で行われたイベントでの3,515.42メートルだったため、今回の新記録はこれを500メートルほど上回るものでした。公式に世界記録の認定が宣言されたときには、人々は大歓声をあげたそうです。
これほど長い流しそうめんが無事にゴールしたら、とてもうれしいですよね。
いかがでしたか?今回のコラムでは、流しそうめんが生まれるきっかけとなった出来事や、竹を使う理由などをわかりやすく解説してきました。また、あわせて知っているとちょっと自慢できるような、流しそうめんにまつわる風習や地域の特色などについてもご紹介しました。
これから始まる本格的な夏。見た目ものどごしもさっぱりとした流しそうめんで、日本の文化を味わいながら、涼やかに乗り切っていきましょう!
太陽の日差しがさんさんと降り注ぐ暑い夏。
そんなときには、見た目ものどごしもさっぱりとした、そうめんが食べたくなりませんか?そうめんはさまざまな食べ方やアレンジレシピがありますが、とりわけ涼しげなのが「流しそうめん」ではないでしょうか。
日本の夏の風物詩ともいえる流しそうめんですが、そもそもどうしてそうめんを流すようになったのか?
どうして竹を使うのか?知らないことも多いですよね。そこで、流しそうめんのルーツや、地域によって異なる流しそうめんの文化など、まつわるさまざまなトピックをご紹介していきます!
このコラムを読んで、さっぱりと涼やかな気分になっていただけたらうれしいです♪
目次
流しそうめんとは?
子どもから大人まで、みんなが楽しめる流しそうめん。いつ、どうして始まったのか気になりませんか?
流しそうめんが始まった時期や場所、そしてどうして竹にそうめんを流すのかなどについてわかりやすく解説していきます。流しそうめんについての知識が増えれば、もっと流しそうめんを楽しめるはず!
流しそうめんの発祥は九州の高千穂?!
「竹にそうめんを流す」そんな風流な見た目から、流しそうめんは日本で古くから行われているイメージがありませんか?
実はその歴史は意外と浅いんです。流しそうめんの始まりは、1955年(昭和30年)。九州・宮崎県の高千穂で生まれました。暑い夏、当時そこに駐在していた新聞記者が、外でゆでたそうめんを割った竹に入れて、高千穂の冷たい水にさらして涼を得たことがきっかけといわれています。新聞記者は、この体験を記事にしました。
そして、その記事を読んだ地元で食堂を営む社長が、現在の流しそうめんのスタイルを思いついたそうです。古来より続く伝統の文化でもなく、そうめんを食べたい新聞記者がそうめんと竹、冷水を組み合せるという、涼を得るための工夫が進化して生まれた文化なのですね。
1959年(昭和34年)ごろには、流しそうめんが商業的な流れに乗り、九州から名水の地を中心に、日本全国へと広まっていきました。
なぜ竹を使うのか?
それは、自然の竹を使うことで、より清涼感を感じられるという理由もあります。清涼感を感じるというのは夏の日本において幸福感を得るに等しいですよね。海に囲まれた島国ならでは蒸し蒸しと湿度の高い熱さはとても苦しい…
だから、涼を得ることにこだわるのではないでしょうか。涼を得るとは、風を通したり日を遮ることで涼むことをいいます。冷たいそうめんで涼を得るためのこだわりとして「竹」を使うのは、日本人ならではのこだわりなのかもしれません。
実は、筆者(私)は子どものころに実家で流しそうめんをしたことがあります。親戚から竹をもらい、父が竹を割り、つなぎ合わせ、手作りで流しそうめん用の竹樋(たけどい)を作りました。市販の「流しそうめんキット」のようなものも売られていて、手軽に楽しめますが、やはり実際に手間をかけて竹を使って流しそうめんをすると、とても涼しい気分になれたことを覚えています。
<番外編>流しそうめんの豆知識
流しそうめんの歴史は意外と最近のもの、ということがわかりましたね。
では、ここからは番外編として、流しそうめんにまつわるおもしろいトピックをご紹介していきたいと思います。ひとことで流しそうめんとはいっても、文化や地域の特色など、いろいろな不思議なお話があるんですよ♪
七夕に願いを込めて
みなさんは、七夕にそうめんを食べると「願いが叶う」といわれているのを知っていますか?
流しそうめんの歴史は意外と最近始まったものですが、そうめん自体は日本に古くからありました。奈良時代には、そうめんの原型となる「索餅(さくべい:小麦粉・米粉・塩を使って水で練り、細長く伸ばして縄のようにねじった食べもの)」が伝わっています。そして、平安時代には、1年の健康を祈って七夕にそうめんを食べたという記録が残っています。
七夕にそうめんを食べるようになったのは、古代中国の伝説が由来となっています。昔、7月7日に熱病で亡くなってしまった子どもの霊が病を流行らせました。そのときにお供えしたのがその子どもの好物であった「索餅(さくべい)」で、それ以降、病がおさまったという伝説があります。
また、七夕にそうめんを食べる理由はほかにもあります。
たとえば、そうめんを白い糸に見立てて、「手芸や機織りが上達しますように」という願いを込めたという説や、そうめんを赤い糸に見立てて、「(織姫さまと彦星さまのような)素敵な出会いがありますように」という願いを込めたという説もあります。
七夕はちょうど暑さも本格的になってくる時期ですから、みなさんも、願いを込めながら、さっぱりとしたそうめんを食べてみてはいかがでしょうか?
鹿児島の一風変わった流しそうめん
流しそうめんというと、竹樋にそうめんを流すというイメージがあると思いますが、鹿児島では少し変わった流しそうめんの文化があります。鹿児島県では「そうめん流し」という夏の風物詩があります。これは、一般的な流しそうめんとは異なり、ドーナツ型の流し器で水流を人工的に作り出し、そこにそうめんを流して食べます。上からそうめんを流す人を必要とせず、またみんなでテーブルを囲んで楽しめるところも「そうめん流し」のポイントです。
「そうめん流し」は、鹿児島県指宿市の唐船峡が発祥の地といわれています。1957年(昭和37年)に観光アピールのために始まったそうです。ちなみに、唐船峡の清水は「平成の水百選」にも選ばれている名水で、1日10万トンも湧出するんですよ。
また、1973年には昭和天皇の弟である高松宮ご夫婦も訪れました。このことから、さらに「そうめん流し」の人気に拍車がかかりました。鹿児島では、風物詩であると同時に、人々のソウルフードともなっている「そうめん流し」。鹿児島のみなさんは「そうめん流し」に誇りを持っているため、うっかり「流しそうめん」といってしまうと「そうめん流しだよ」と指摘されることもあるとか。鹿児島を訪れた際は、ぜひ「そうめん流し」を楽しんでみてはいかがでしょうか。
流しそうめんのギネス記録は4,031メートル!
流しそうめんは、竹をつなげて竹樋を作りますよね。
流しそうめんの到達距離のギネス世界記録に挑戦するイベントが、大分県で2023年に開かれました。そこでは、4,031.76メートルという新記録が誕生しました。ちなみに、そうめんがスタートしてからゴールするまで、約1時間半もかかったとか。
これまでの記録は、長野県で行われたイベントでの3,515.42メートルだったため、今回の新記録はこれを500メートルほど上回るものでした。公式に世界記録の認定が宣言されたときには、人々は大歓声をあげたそうです。
これほど長い流しそうめんが無事にゴールしたら、とてもうれしいですよね。
流しそうめんで、夏を涼やかに乗り切りましょう
いかがでしたか?
今回のコラムでは、流しそうめんが生まれるきっかけとなった出来事や、竹を使う理由などをわかりやすく解説してきました。また、あわせて知っているとちょっと自慢できるような、流しそうめんにまつわる風習や地域の特色などについてもご紹介しました。
これから始まる本格的な夏。見た目ものどごしもさっぱりとした流しそうめんで、日本の文化を味わいながら、涼やかに乗り切っていきましょう!