「英霊の言乃葉」に注目してみる

近代社会であらゆるものがシステム化していく中で、人間が生まれて死んでいくという大前提、そして「生きているという実感」が麻痺しがちです。
また、利己の弊害に対して洞察がされないまま個が拡大している中、滅私奉公に美を汲み取ってきた日本の精神文化も、輪郭すら見えなくなってきています。

そういった近代社会で、「英霊の言の葉」は何やら、日本刀のように鈍く光を放っているように感じます。
英霊とは先の大戦で国家の危機に身を投げうってくださった方々の霊であり、「英霊の言の葉」とは戦死者の遺書のことです。
「死」と向かい合い「個を超えて」身を投げうってくださった方々のメッセージから、戦争の政治的な善悪はさておき、現代で見失いがちな研ぎ澄まされた人間感性を感じとる場になれば幸いです。

 


海軍少佐 富澤幸光命
神風特別攻撃隊第十九金剛隊
昭和二十年一月六日比島にて戦死
北海道第二師範学校
海軍第十三期飛行科予備学生
北海道桧山郡江差町出身 二十三歳

お父上様、お母上様、益々御達者でお暮しのことと存じます。幸光は闘魂いよいよ元気旺盛でまた出撃します。お正月も来ました。幸光は靖国で二十四歳を迎へる事にしました。靖国神社の餅は大きいですからね。同封の写真は○○で猛訓練時、下中尉に写して戴いたのです。眼光を見て下さい。この拳を見て下さい。

父様、母様は日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストープを囲んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。靖図神社ではまた甲板士官でもして大いに張切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知っても決して泣いてはなりません。靖圏で待ってゐます。きっと来て下さるでせうね。
 

本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。否日本国が大変な事になる。幸光は誰にも負けずきっとやります。
ニッコリ笑った顔の写真は父様とそっくりですね。母上様の写真は幸光の背中に背負ってゐます。母様も幸光と共に御奉公だよ。何時でも側にゐるよ、と云つて下さってゐます。母さん心強い限りです。

幸雄兄、家の事は万事たのむ。嘉市兄と共に弟嘉平、久平、保則君を援けて仲良くやつて下さい。

恩師に宜しく申し上げて下さい。十九貫の体駆、今こそ必殺轟沈の機会が飛来しました。小樽の叔父、叔母様に宜しく。函館の叔父、叔母様に宜しく。中野の祖母様に宜しく。国本師顕殿、御世話を謝します。叔父さん、幸光は立派に大戦果をあげます。
【参照:「英霊の言の葉2」靖国神社遊就館にて販売】



靖國神社で会おう、という言葉は、当時の日本人にとって重要な意味を持っていました。
靖國神社は戦争動員目的で作られた、という意見もあるようですが、それは偏った見方でしょう。
もともとは幕末に明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが全国的に活発になったことからはじまります。
その民間在野の想いを受けて、国家がオフィシャルに英霊を顕彰していく場として、靖国神社は創建されたのです。

靖国神社は英霊を祀る、顕彰する、という考え方です。憐れな犠牲者を悼むのではなく、国家のために身を投げ打った方々への感謝・尊敬の念を忘れずに、そして後世に残すために、顕彰するのです。
「靖国で会おう」という遺書の言葉は、遺族にとっては靖国での再会を意味したでしょうし、身を投げ打った英霊を懐かしくさみしくも誇らしく思う場所であったはずです。

戦死者は「あーあ、可哀そうに」と同情すべき憐れな犠牲者なのか? 「よくやってくださった」と、誇らしく顕彰するべき英霊なのか?

注目している人は少ないように思いますが、戦後の日本を担う私たちにとって、どちらにとらえるかによって、精神的に大きな違いを産むのです。
この論点において重要な原体験が私にはあります。兄(当時28歳)が交通事故で亡くなったときのことです。

兄は高速道路を走行中に後ろから他の車にぶつけられたのですが、兄の車は路肩に止まり兄は大丈夫でした。しかし相手の車が路上に止まってしまい運転手も動けなくなっていので、別の車がさらに追突して死傷事故につながりかねない。そこでそのカップルの救助活動を行い路肩まで連れていきました。
 

さらに警察に連絡したところ、追加事故を防ぐために発煙筒等を設置するよう指示をされます。兄はその作業の最中に、路上の車を避けて急ハンドルを切ったトラックにはねられて、即死してしまいました。

私は兄の一本気な性質を知っていましたから、危険を顧みず一生懸命だったはずの兄の姿を想い、涙が止まりませんでした。
しかしながら某知り合いがこんなことを私に言ったのです。「人助けなんかしないで逃げてればよかったのに。自分の命を最優先にしないと。」
馬鹿な判断をした兄、それを煽った警察。兄は憐れな犠牲者だ、と。

私は110番で警察とやりとりする兄の言葉もテープで聞きました。そして兄の性質も知っています。兄は他者の危険を放っておけず行動に移したのだし、それは人間にとって尊い行為であるはず。
馬鹿な判断だった、とか、煽られて可哀そうとか、憐れな犠牲者扱いとは何たる冒涜か!自分の保身ばかり考える程度の価値観で偉そうに見下すんじゃない!!その知り合いには怒りがこみあげましたし、私は警察にせめて兄を顕彰してほしい旨、頼みましたが、実現には至りませんでした。兄の死を誰がどうとらえようと、私は兄に言ってあげたい。「よくやった。頑張ったよな。」と。

私個人の体験から、犠牲者として憐れむのか、英霊として顕彰するか、によって、遺族にとっては耐え難い差があることを、情感を持って思い知ったのです。
私はそれ以降、先の大戦の戦死者、靖国の英霊に対して顕彰の念を強くしました。

今回紹介した遺書のように「私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。否日本国が大変な事になる。」と身を投げ打っていった英霊に「よくやってくだっさった」と頭を下げ感謝しながら、この国に生きていきたいのです。

~NKN推進計画研究所より~


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