人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
二十代後半の頃、わたしはあまりうまく行っていなかった仕事からフェードアウトしつつあり、 あちこちをフラフラしていた。 十代のときにデザインを生業にしようと思って以来、ずっとその道に沿った世界で育ってきたのだが、その当時は本当にデザインの仕事を手放したいと思っていて、今まで自分の根っこになっていた「好きなことを仕事にする」という生きがいを無くし、次の一歩をどう踏み出していいのか分からなくなっていた。
だから、やみくもに歩いていた。歩くと余計なことを考えなくていいし、とにかく進んで何かにぶち当たってみればいいかな、などと、将来の事を軽く考えていた。
たくさん旅をしていたが、忘れられない場所のひとつが熊野古道。 熊野古道とは、本宮・新宮・那智の熊野三山を詣でるために作られた道だ。古代から中世にかけ、天皇から庶民まで多くの人々が参詣したという。
3月にしては強い寒波の来ている時で、紀伊山地にも珍しく雪が積降っているとのことだったので、できるかぎりの装備で訪れた。 熊野古道は、思いのほか険しい山道だった。写真などで見る石畳の整備された道はほんの一部で、実際にはいくつもの山や谷を越える、山歩き初心者にはなかなかつらい道が続いた。
しかも孤独なのだ。 熊野古道は三山へ向うためのルートなので、すれ違う人はほぼいない。 同じ日に歩いているのは民宿で一緒になった外国人2人連れのみで、彼らはどんどん先に進んでしまって、すぐに見えなくなった。 写真で見る小さな神社や祠はなんだか素敵に見えたのに、薄暗い森で見る朽ちかけた鳥居は恐ろしくて血の気が引いた。
とにかく早く進んで、目的地に着いてしまいたかった。 午前中は猛スピードで歩き、2つぐらいの峠を越えて車道に出た。 アスファルトにはうっすら雪が残っている所もあって、滑りやすい。登山靴を履いてきてよかった。 車道は森が開け、陽が差し込んで明るい。心に余裕ができたせいか急にお腹が減ってきたので、休憩を取ろうと河原に続く道を降りた。そこは不思議な地形で、ぐるりと川が蛇行して、陸地は中洲のようになり、こんもりと緑が茂っていた。
河原に下りて、ほどよい石の上に腰掛け、お弁当を広げる。大きなおにぎりを2つ食べ、しばらくぼーっと水の流れを眺めていたが、汗が冷えてきたため早々に先に進もうと立ち上がり振り返ると、中州に渡された小さな橋が気になった。
ドラム缶のような橋脚に、金属の板を渡したような、あまり丈夫そうな作りではなかった。誰かが個人的に掛けたのだろうか…という感じ。 それが妙に渡ってみたくなった。赤茶色に錆びたその橋をそろり、そろり、と渡る。 手すりはないので、まっすぐ前を見て進まないと危ない。ぎしぎしと鈍い音を立てながら進んだ。
中州に足を踏み入れた瞬間、わたしは息を呑んだ。
そこは一面の苔に覆われた小さな社だった。外側からはただ木々が茂るだけに見えたのだが、中州の中に神社を隠していたのだ。 奥まで続く参道は、道も鳥居も、緑色のじゅうたんを敷き詰めたようにびっしりと苔に覆われていた。
あまりの光景にしばらくそこに立ち尽くしていたが、好奇心に駆られて参道に足を踏み入れた。 登山靴越しにふかふかとした苔の感触が伝わる。 この道はこんなにも苔が覆ってしまうほど、ほとんど人が通らないのだ。
その社は進むほどに空気が張り詰めていくようだった。参道の半ばまできたところで、なぜか進めなくなった。これ以上行ってはいけない気がしたのだ。 参道の真ん中で、その先に祀られているであろう神様に一礼し、わたしはその場を立ち去った。
奥まで行くことはもちろん、写真を撮ることもはばかられるような、不思議な空間。 神社へ詣でて、こんな気持ちになることは初めてだった。
GPSはほぼ使えないので地図だけが頼りだ。 ときどき道が分からなくなったし、孤独に負けそうになったが、なんとかぎりぎり、日暮れまでに目的地の湯の峰温泉に辿り着くことが出来た。
今思うと、地図も読み慣れない山歩き初心者がひとり、雪の残る山道をよく歩けたものだと思う。 迷った道が運良くすぐ行き止まりになっていたり、雪道に足跡がついていて正しいルートに戻れたり、もしかしたら何かの導きがあったのかもしれない。
目的地に辿り着いたあと、数分で日が暮れて周囲は真っ暗になった。あと少しペースが遅れていたら、森の中で身動きが取れなくなっていたかもしれない。 あの苔むした神社で、ぼーっと時間を過ごしていたら、ここに辿り着けなかったかもしれないと思うと、背筋がぞくっとした。
当時の私は地に足が着かずフラフラしていたから、日没の時間を考えて行動していなかった。 神様は、「先のことをきちんと考えず、ものごとを甘く見てはいけないよ」と伝えてくれたような気がした。
さて、それにしてもあの神社はなんだったのだろう… 写真は撮っていないし、熊野古道のMAPには載っていない。 グーグルMAPで探してみたけれど、特定できなかった。
もしこのコラムを読んでいる方で、わかる方がいたらぜひ教えてほしい。 もう一度行けるものならば訪れて、あのときのお礼参りをしたい。
しかし時は過ぎ、デザインの仕事を再開して突き進んでいる私の前に、 当時と同じように姿を見せてくれるかどうかわからない。
★文/イラスト ぶらめがね★
二十代後半の頃、わたしはあまりうまく行っていなかった仕事からフェードアウトしつつあり、
あちこちをフラフラしていた。
十代のときにデザインを生業にしようと思って以来、ずっとその道に沿った世界で育ってきたのだが、その当時は本当にデザインの仕事を手放したいと思っていて、今まで自分の根っこになっていた「好きなことを仕事にする」という生きがいを無くし、次の一歩をどう踏み出していいのか分からなくなっていた。
だから、やみくもに歩いていた。歩くと余計なことを考えなくていいし、とにかく進んで何かにぶち当たってみればいいかな、などと、将来の事を軽く考えていた。
たくさん旅をしていたが、忘れられない場所のひとつが熊野古道。
熊野古道とは、本宮・新宮・那智の熊野三山を詣でるために作られた道だ。古代から中世にかけ、天皇から庶民まで多くの人々が参詣したという。
3月にしては強い寒波の来ている時で、紀伊山地にも珍しく雪が積降っているとのことだったので、できるかぎりの装備で訪れた。
熊野古道は、思いのほか険しい山道だった。写真などで見る石畳の整備された道はほんの一部で、実際にはいくつもの山や谷を越える、山歩き初心者にはなかなかつらい道が続いた。
しかも孤独なのだ。
熊野古道は三山へ向うためのルートなので、すれ違う人はほぼいない。
同じ日に歩いているのは民宿で一緒になった外国人2人連れのみで、彼らはどんどん先に進んでしまって、すぐに見えなくなった。
写真で見る小さな神社や祠はなんだか素敵に見えたのに、薄暗い森で見る朽ちかけた鳥居は恐ろしくて血の気が引いた。
とにかく早く進んで、目的地に着いてしまいたかった。
午前中は猛スピードで歩き、2つぐらいの峠を越えて車道に出た。
アスファルトにはうっすら雪が残っている所もあって、滑りやすい。登山靴を履いてきてよかった。
車道は森が開け、陽が差し込んで明るい。心に余裕ができたせいか急にお腹が減ってきたので、休憩を取ろうと河原に続く道を降りた。そこは不思議な地形で、ぐるりと川が蛇行して、陸地は中洲のようになり、こんもりと緑が茂っていた。
河原に下りて、ほどよい石の上に腰掛け、お弁当を広げる。大きなおにぎりを2つ食べ、しばらくぼーっと水の流れを眺めていたが、汗が冷えてきたため早々に先に進もうと立ち上がり振り返ると、中州に渡された小さな橋が気になった。
ドラム缶のような橋脚に、金属の板を渡したような、あまり丈夫そうな作りではなかった。誰かが個人的に掛けたのだろうか…という感じ。
それが妙に渡ってみたくなった。赤茶色に錆びたその橋をそろり、そろり、と渡る。
手すりはないので、まっすぐ前を見て進まないと危ない。ぎしぎしと鈍い音を立てながら進んだ。
中州に足を踏み入れた瞬間、わたしは息を呑んだ。
そこは一面の苔に覆われた小さな社だった。外側からはただ木々が茂るだけに見えたのだが、中州の中に神社を隠していたのだ。
奥まで続く参道は、道も鳥居も、緑色のじゅうたんを敷き詰めたようにびっしりと苔に覆われていた。
あまりの光景にしばらくそこに立ち尽くしていたが、好奇心に駆られて参道に足を踏み入れた。
登山靴越しにふかふかとした苔の感触が伝わる。
この道はこんなにも苔が覆ってしまうほど、ほとんど人が通らないのだ。
その社は進むほどに空気が張り詰めていくようだった。参道の半ばまできたところで、なぜか進めなくなった。これ以上行ってはいけない気がしたのだ。
参道の真ん中で、その先に祀られているであろう神様に一礼し、わたしはその場を立ち去った。
奥まで行くことはもちろん、写真を撮ることもはばかられるような、不思議な空間。
神社へ詣でて、こんな気持ちになることは初めてだった。
GPSはほぼ使えないので地図だけが頼りだ。
ときどき道が分からなくなったし、孤独に負けそうになったが、なんとかぎりぎり、日暮れまでに目的地の湯の峰温泉に辿り着くことが出来た。
今思うと、地図も読み慣れない山歩き初心者がひとり、雪の残る山道をよく歩けたものだと思う。
迷った道が運良くすぐ行き止まりになっていたり、雪道に足跡がついていて正しいルートに戻れたり、もしかしたら何かの導きがあったのかもしれない。
目的地に辿り着いたあと、数分で日が暮れて周囲は真っ暗になった。あと少しペースが遅れていたら、森の中で身動きが取れなくなっていたかもしれない。
あの苔むした神社で、ぼーっと時間を過ごしていたら、ここに辿り着けなかったかもしれないと思うと、背筋がぞくっとした。
当時の私は地に足が着かずフラフラしていたから、日没の時間を考えて行動していなかった。
神様は、「先のことをきちんと考えず、ものごとを甘く見てはいけないよ」と伝えてくれたような気がした。
さて、それにしてもあの神社はなんだったのだろう…
写真は撮っていないし、熊野古道のMAPには載っていない。
グーグルMAPで探してみたけれど、特定できなかった。
もしこのコラムを読んでいる方で、わかる方がいたらぜひ教えてほしい。
もう一度行けるものならば訪れて、あのときのお礼参りをしたい。
しかし時は過ぎ、デザインの仕事を再開して突き進んでいる私の前に、
当時と同じように姿を見せてくれるかどうかわからない。
★文/イラスト ぶらめがね★