「英霊の言乃葉」に注目してみる vol.3

近代社会で、「英霊の言の葉」は何やら、日本刀のように鈍く光を放っているように感じます。
英霊とは先の大戦で国家の危機に身を投げうってくださった方々の霊であり、「英霊の言の葉」とは戦死者の遺書のことです。
「死」と向かい合い「個を超えて」身を投げうってくださった方々のメッセージから、戦争の政治的な善悪はさておき、現代で見失いがちな研ぎ澄まされた人間感性を感じとる場になれば幸いです。

バックナンバーは こちら です。


「沖縄の戦地より妻へ」
陸軍中尉 渡辺研一 命 
昭和二十年五月二十七日 
沖縄本島喜屋武にて戦死
栃木県出身 東京大学卒 二十九歳

まだお便りする機会は幾度かありましょう。しかし、時機はいよいよ迫りつつあります。
それが何時であるかはもとより予測することは出来ませんが、おそらくは、あなた達の予想外の速さでやって参りましょう。

その時の来ない中に、言うべき事は言って置きたいと思います。しかし、いざペンを取ってみると今更ながら申すことのないのに気がつきます。
今の私は強くあらねばなりません。寂しい、悲しいというような感情を振り捨てて与えられた使命に進まなければならぬ立場にあるのです。
ただ一切を忘れて戦って戦って戦い抜きたいと思います。
不惜身命(ふしゃくしんみょう)生きる事はもちろん、死ぬことすらも忘れて戦いたいと念じております。

南海の一孤島に朽ち果てる身とは考えずに、祖国の周囲に屍のとりでを築くつもりでおります。
何時かはあなた達の上に光栄の平和の日がおとづれて来ることと思います。その日になって私の身をもって尽くしたいささかの苦労を思いやってくだされば私達は、それで本望です。

愛する日本、その国に住む愛する人々、その為に吾等は死んでいくのだと考える事は真実愉しいものです。
運命があなたにとっての良き夫足ることを許さなかった私としては、そう考える事によって、あなたへの幾分の義務を果たし得たような安らかさへ覚えます。

一度戦端が開かれれば、一切の手段をつくし最善の道を歩むつもりです。万一のことがあった際、たとえ、一切の状況が不明でもあなたの夫はこのような気持ちで死んで行った事だけは、そうして最後まで、あなたの幸福を祈っていた事だけは、終生、覚えていていただきたいと思います。

その後、体調は相変わらず、すこぶる好調です。いつもながらご自愛を祈ります。

ご機嫌よう

昭和二十年二月十日


8月15日終戦記念日がやってきます。
戦争の犠牲者に哀悼の意を捧げる日。

二度と戦争が起きないよう、考える日。

そして大事なのは、英霊に想いを馳せ、顕彰する日。母国の人々を守ろうと自ら身を捧げた先人達へ感謝と敬意を払う、本当によくやってくださった、という気持ちを英霊に伝える日。

これは何か史観やイデオロギーの作用を語っているわけではなく、健全な人間が自然に持ちうる感謝と崇敬の心の作用を語っているのです。

そして実は(世界でもトップレベルの自殺大国でもある)日本人の自己肯定感の低さにもアクセスします。
身を捨てて自分達を守ろうとしてくれた方々がいた事実。
そして英霊が死を前にして発揮した自己犠牲の精神そのものが持つ、卑しい自己保身の心を戒める作用。
これらはガッシリとした自己肯定感につながる心理的要素となるのです。

難しいことはさておいても、真心を持って感謝と敬意の祈りを捧げてみれば、何かを感じ取れるはずです。

英霊の言乃葉は日本人のみが共有できる国民の物語です。
そこには日本人が日本人として、健全なる自己肯定感を持って生きていくためのエッセンスがあるのです。

終戦日を、かつての日本のために、これからの日本のために、そして自分自身のために、祈りを捧げる日としましょう。

~NKN推進計画研究所より~


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