ノイズの洪水にみる人間の本質 そして、そこから感じとれるロックと民俗音楽 前編

裸のラリーズ

今回紹介するレコードはこちら

こんにちは。お久しぶりです。
今回のお題はアンダーグラウンドロックの雄、『裸のラリーズ』についてお話したいと思います。

裸のラリーズ= Les Rallizes Dénudés
このバンド名を聞いたことがある人はこの記事を読んでいる読者のどれくらいいるのだろうか?
きっと5%いればいいくらいではないだろうか?

去年、いきなりネットで立ち上がった公式サイトの中で
グループのリーダー水谷孝さんが2019年にお亡くなりになったと知り、それをきっかけに自分の中のラリーズに再び火がつき、色々と彼らの数少ない音源を自分の周りのネットワークを駆使して聴きまくった。

そして先ずわかったことは、
このバンドの結成時は以前特集をした村八分*1のメンバーと一緒のグループだったとか、その後グループに参加することになる山口冨士夫*2さんが在籍していた頃が一番最高だとか。
当時バンドのメンバーがよど号ハイジャックのメンバーだとか、とにかくやっぱり繋がっているんだと感心した。

*1 京都が生んだロックな壁画絵師 キーヤンさん(木村秀輝さん) と日本最古のロックバンド 村八分
https://aminaflyers.amina-co.jp/list/detail/148
*2 山口冨士夫
ロックの礎を築き、80年代に「TEARDROPS」でメジャーシーンに浮上して多くのキッズを魅了した、ニッポンのロックンロールの代名詞的存在。 様々な伝説的ロックバンドに身を置き、RCサクセション、シーナ&ザ・ロケッツ、ボ・ガンボズといったメジャーフィールドのバンドとも盛んに交流してきた。
(公式サイトより)

以下興味深い文献を見つけたのでそのまま転載させていただきます。

山口冨士夫、チャー坊(共に村八分メンバー)はこの1970年当時、裸のラリーズのメンバーとしても活動。しかし「チャー坊版ラリーズ」と「水谷ラリーズ」の2種類の「裸のラリーズ」として平行して活動していた時期がある。というのは、個性の強い水谷(左翼思想にも一定の理解を示すインテリ文学青年)とチャー坊(崇高な詩人の魂を隠し持ちつつも、無教養な根っからの不良少年としてのアイデンティティーを捨てようとはしなかった青年)とは、互いの才能をリスペクトしつつも人間的に合わなかった事に由来する。一方、山口富士夫の音楽人・ギタープレイヤーとしての天賦の才は凄まじく、当時の彼を超えるプレイヤーは40年近く経過した現在においても、探し出すことは容易でない。その後「チャー坊版ラリーズ」が「村八分」として分離発展していくことになる。
従って現在の「裸のラリーズ」と「村八分」という2バンドは同じ母体から派生した兄弟バンドということができる。

『京大西部講堂ロック史記」より転載

どうです?すごくワクワクする内容じゃないでしょうか?

と今回は前編といたしまして裸なラリーズとはどんなグループなのか?と
解説してみました。
次回後編は、楽曲の内容に迫ってみたいと思います。

最後に後編前振りとして裸のラリーズの音楽を一曲聴いて頂いて今回は終わりとします。
それではまた次回お会いしましょう!

feiさんのプロフィール画像

筆者プロフィール:@feizemin

中学の頃はクラシック音楽少年だったが親戚にビートルズのカセットテープを借りて聴いたその日よりロックミュージックに目覚める。
現在は営業部に所属している傍ら、プライベートでは自身のグループfeimoというオリジナルグループで日々オリジナルソングを作ってレコーディングなどおこない、音楽を通じて人々を幸福に出来るよう活動中。

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